年が明け、東京に行ってからも勢いが続いている 
雪組『ファントム』 
東京千秋楽のライブ中継は
なんと 8箇所もの映画館での追加上映が決まり
我が愛知県も、3箇所でのライブ中継となりました
おそらく、ライブ中継のチケットを求めエントリーするファンが ものすごく多かったのでしょうね
一度以上劇場で観劇した人は
「もう一度 観たい!」 と、思い
劇場で観られなかった人は
「これは、観ておかねばなるまい」 と 思う
近年稀にみる 質の高い人気演目なのですね

なんと言っても
だいきほ (望海風斗・真彩希帆) の歌唱力!
心地よい、、(❁´ ︶ `❁)*✲゚*
音程、唄声、、ブレのない安定の歌唱には ホントに うっとり♡
だいきほ効果なのか、組子の歌のレベルも上がっていますよね
特に、2番手の さきちゃん(彩風咲奈)
少ないながら、最大の見せ場の 親子の歌 では
驚くほど、良い唄声を披露してくれた
、、じゅんはなちゃん(潤花) の 音の取れなさには閉口したけど、、東京では良くなっているのかな?

映像も、かなりハイレベルで
リアルで美しく、見入ってしまう

私は、ムラで
各パターンを1回ずつ、連日観劇しました
だいきほ の歌の素晴らしさや
親子の歌には、当然 号泣
心地よい唄声は、何日か頭の中に残っていました


。°.。❅°.。゜.❆。・。❅。。❅°.。゜


しかし、、なんです

ここからは、雪組の『ファントム』に 物申すなんてありえない!とお考えの方はお読みにならないで下さい



雪組公演から帰り、もう一度 初演の宙組公演のDVDを見返し
「こっちの方が、好きだな」 と思った

歌のレベルは、圧倒的に雪組に軍配
けれど、初演が好きなのは〝演出〟の違いに原因がある
同じ 演出家(中村一徳先生) なのだけど
初演とは、かなり演出を変えてきている
残念ながら、2回目・3回目の再演を観ていないので
今回、急激に変わったのか、徐々に変化してきたのか分からない

私の非常に個人的な好み と前置きして
私の好みの話をさせていただきますね

大きく変わっていて、引っかかったのは
・親切すぎる演出
・ファントムが かなり人間的

映画と舞台の大きな違いに、セットがある
映画はロケを行ったり、いくつものセットやCGで場面を作ることができ
映像の進化も手伝って、よりリアルな表現ができるのに対し
舞台は限られた空間を使って
物語の最初から最後まで、セットの展開を駆使して表現する
宝塚のセットは、細部まで拘りがあり 素晴らしく
その空間を再現してくれるものも多い
最近では『MESSIAH』の江戸城のセットは圧巻だった
ヨーロッパの宮廷など、煌びやかなセットも得意
そんなふうに、リアルなセットもあれば
正塚晴彦先生のように、簡素なセットを用いる場合もある
ひとつのセットが、場面によって様々に変化する
私は この〝見立てる〟セットが結構好きなのだ
芝居が絶妙に世界観にマッチした時
ない物が見えるような感覚
そうでない物が そう見える感覚が たまらなく好き
観る側も、物語の世界観に入り込んでいくほど
舞台上に色々な物が見えてくるように感じることがある
映画と違って、舞台を観るのは イマジネーションを働かせる楽しみがあるのだと思う

今回の『ファントム』のセットも
かなり手が込んで、とても素敵
ただ、幕開きから
美しくリアルな映像で、オペラ座の地下が映し出される
物語の舞台は ここだ!
それによって、世界に入り込みやすい人もいれば
なにか ひとつ楽しみを取られたような気もした人もいるはずだ
『ファントム』のストーリーにどんどんに引き込まれ
見えない物が 見えてくる感覚を楽しみたかった、、と 後から感じた


最も気に入らなかった演出は
ジェラルド・キャリエールがエリックを撃つ場面で
「父さん」 と言わせたことだった

これは、賛否両論あるでしょう
エリックが 「父さん」 と言った時
涙が溢れたのは事実だし、、

けれど、その前に銀橋で 親子の歌 に感動しての流れだから
「撃ってくれ、ジェラルド」 と言ってくれたら
それは、言葉にしなくても 「父さん」 なのだ
そして、その 「父さん」 は
エリックとジェラルド、そして私たち観客にしか聞こえない 心の声 であることが
とっても重要なのだ

エリックが 「父さん」 と言ったことで
私は頭の片隅で、、「みんなにバレちゃった…」 と思い
今後の ジェラルドの行く末を心配してしまった
一瞬、、それまで どっぷりとハマっていた気持ちが現実に引き戻されたのだ
私は事前に 「父さん」 と言う演出に変わっていたことは知らなかった

親子の事実は、明らかにされない方が
絶対に良かった、、と 私は思っている

「父さん」 と 言われちゃった ジェラルドは
エリックの亡骸に寄り添い、、物語は終了する
舞台では描かれていないけど、この後 ジェラルドはどうなるのだろう?
「ファントムは、お前の息子だったのか」 「なぜ地下に隠したのだ」と責められ
地下で死んでしまった衣装係のブケーの家族から 「どうしくれるんだ!」 と 詰め寄られるかもしれない
、、、あ、だから
初演では エリックがブケーを殺すけど
今回は ブケーが誤って転落死する演出になっているのだろうか
「あれは、事故だったんです!」 と 弁明する ジェラルド、、

そんな未来を想像したくない

「父さん」 と 言われなかったバージョンだと
親子とは周囲は知らずままエリックは亡くなり
ジェラルドは人知れず 息子の死を受け入れ 呆然とする
この先、ジェラルドは真実を自らの胸の内にしまい込み
オペラ座の怪人は伝説となり、語り継がれる

この方が、よっぽどドラマチックだ

この場合
ジェラルドが、何故ファントムを撃ったのか?ということで
問い詰められることになるかもしれないが、、
親子の秘密は守られる

どちらにしても
観劇をしつこく引きずるタイプには
この 「父さん」 が、非常にしっくりとこなかった

この場面だけでなく
雪組版エリックは、終始 人間的だ
従者に娘役を入れたことも、なんだか変にリアルな生活感を生みだしているように感じる
もちろん、エリックは人間なのだけど
原作者の ガストン・ルルーの描いたエリックは、もっと『ファントム』なんじゃないかな
この 非常に醜く凶暴なファントムを
宝塚のトップスターが演じる意味とは なんだろう
タカラジェンヌは『夢を売るフェアリー』
この世に存在しないような 醜い男 を
この世に存在しないような存在として描くことに意味があるような気がする

その象徴的な場面が
団員のリハーサルに紛れこむファントムだ
人間のようで人間ではないような身のこなし
今、何かが通った? 、、え? なに? と
1人 対 大勢 なのに
捕まえることができない 不思議さ
何も変わっていないようで、明らかに別物がいる
醜くいファントムを、ここでは逆に 2次元的に、、言うなれば タキシード仮面的に表現できるのが 宝塚だと思う
原作ではエリックは、恐ろしいほど醜いけれど
宝塚では 180度逆に、人間とは思えない美しすぎる存在に置き換え、それを醜い存在として描くのだ
宝塚版エリックは、人間的であってはいけない、、というのが
宝塚ファンである私の意見だ

だいもん というスターは、とても 人間的だと思う
なので今回は、こうした演出になったのかもしれない
そして、だいもんは
現実にいそうな、人間くさい役が似合う
次の雪組公演『20世紀号に乗って』の ポスター
なんて カッコいいのだろう!と思った
私は、こっちの だいもんが断然好きだ


雪組『ファントム』
素晴らしい音楽を聴いた と満足した
それは
私が宝塚の舞台に求める〝ときめき〟とは違う満足感だった


ずっと聴いていたい音楽 と
ずっと観ていたい舞台 は
同じようで、少し違う


現在の雪組が好きではないという話ではないのです
様々なタイプの組があって
それぞれに楽しみ方がある
これほど 歌で満足させてくれる トップコンビは貴重です
雪組公演には、できる限り 足を運びたいと思っています
『20世紀号に乗って』は東京だけなのが残念










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